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変わらない日の一言

独りな生活を愛してます

『独り』に慣れたのはいつ頃だろうか。

思い返すと常に隣には誰もおらず自分1人が佇んでいる。

 

『仲の良い友達は多い方がいい』

『友達との思い出が何よりも大切』

 

なんて事を学生時代のお酒の席でよく聞かされていたのを思い出す。まるで、『ぼっち行動』をしている人には人権が無いように聞こえた。

その時の私は、毎回強がって独り行動が如何に良いものかを反論していたけど、話せば話すほど変わり者のような目で見られる。

一応、私にも人並み程度に仲間意識、団体行動をとる能力はあると思う。現にその時は仲間外れが嫌で特に仲良くない人と一緒にいたし飲み会にも参加した。行きたくもない集まりにも。


けれどその度に思うことがある。

 

『これのどこが楽しいのだろうか?』

 

好きな食べ物は食えないし、苦手な会話もしなければならない。対して面白くもないネタにも笑わないといけないし、1番苦痛なのが苦手な人と一緒にいる事。

苦手なものを我慢するという能力が欠けてる私は次第に集団行動が億劫になり、自分の楽しいを優先させていった。


そうしているうちに『独り』になった。

けれど『独り』になった事で行動があがったので色々なところへ出掛けていった。

最初はファミレスに行くのが怖くてしょうがなかった、居酒屋もそうだ。

誰かとしか行ったことがないところに1人で行くのを想像してほしい。不安になるだろう。

『何て見られているんだろう』

『友達いないと思われている…』

 

なんて思いながら注文していた。

それから数年が経つ。今でも、怖い時があったりする。居酒屋に行くのは少なくなったけど、やっぱりカウンターがないお店は落ち着かない。けれど見られている感覚は減った。それは『他人への関心はあまり高くない』事を実感できたという事。

皆んなも考えてほしい。

普段着で1人、ご飯を食べている人を見て『あれ?』と思ったことがあったとして、寝る前まで覚えているだろうか。

私は覚えていないし、だからこそ気にしなくていい。

そんなものを考えて『楽しい』を実感出来ないのは勿体無いのだから。